何のためのzoom×ダンスか

2020 / 04 / 15

ヨガやヒップホップなど(これを正しさが伴うコレクトダンスと呼ぶ)のコンテンツをズームを通して課金で行うことに対して、違和感を感じる。それを踏まえた上で、どんなダンスが、ズームにふさわしいのかを考察する。

まず、違和感に関して。コレクトダンスいわゆる肉体的なテクニックを参加者と共有する。これは、"リアルであった方が何倍も情報量がちがう"という点で、まったくの見当違いでダウングレードだからである。(すでにテクニックを持っている、プロtoプロアマであれば機会が増えていいというのはあると思う。)そしてそのダウングレードに対して、何か悪いからという理由で低コストにして参加者を募る。このコンテンツの対価交換にまた勿体なさを感じる。サブスクというある意味のファン化の視点が大切。なぜなら、コンテンツ価値はもう説明したように無料に近づいており、価値があるのはコミュニケーションや人であるからである。この人のブランディングを進めなくては行けない。例えば、きれいでスタイルがいいとか、ひたすらに明るくて元気になるとか、優しくってなんでも受け取って聞いてくれてスッキリできるなどである。

さてそれを踏まえた上でzoomでできるダンスを考えてみたい。上記のヨガ的な運動の側面、ヒップホップやバトルなどの表現の面以外で何があるか。

ダンサーは一人で踊る時間がある。少なくともこの時間はわたしにとって素晴らしい時間である。なぜか、一人で練習する気分転換になる側面、音楽にのっているとハイになるゾーン(フロー)になる側面、踊っているだけでアイデアが生まれる面、運動や感覚的に衰えない時間などさまざまあると思う。

zoomの良さは何か。個と個が別々の空間にいること。ほぼ同時間でやりとりが交わせるということ。情報のインプットアウトプットに、テキストと映像と音声と画像があるということ。

特にわたしは、それぞれが別空間に入れることと画面性、そして同時に継続的につながっていられることが重要に思う。つまり、ファシリテーター側の意図(映像や音声などのコントロール)によって、受け手側の意味の解釈が広がるということである。コレクトダンスにはそれがゴールであるという目的がある。それとは全くちがう自分の気持ちと繋がったり、自分のイメージを膨らませたりできるダンスを通してリフレッシュしたり、運動になったりすることが適しているのではないかと思う。肉体を真似するというよりは、言葉や図、絵や、肉体も含めたものを通して自分で解釈でき、周りには気にすることのない誰もいない空間で、集中できる。スッキリする。ダンスの抵抗感をなくす。

そのような抽象度をあげた指示によるダンスを通して、心と体がつながり、最後には他者とコミュニケーションできるようなダンス×zoomがあるべき姿なのではないかと思う。

別の角度から、zoomは映像であるという観点もある。映像でダンスをその人のためにつくるオンラインコミュニティ→いつでもそこを開けば一緒にダンスできる相手がいる、観れるというのも面白い。

表現という側面では、映像作品としてのダンスをつくることが重要であろう!