芸術について思うこと。「心の負債が軽くなる」

2024 / 06 / 10

芸術について、ふと思うきっかけとなった動画は、岡田斗司夫氏の切り抜き動画のためである。

この動画の中に、
青年が、岡田氏に悩み事が多いことを相談しているところがある。
岡田氏の回答はこうだ。「神社に行け、理由は言葉では伝えられないから行け」
大体こんな感じである。
決して宗教的な意味合いではないことは、岡田氏のことを知っている人はご存知だろう。
では、なぜ岡田氏は、神社を進めるのか。
相談に回答している段階では、「言葉にできない」としているが、動画の後半にその回答のような言葉ある。
「教会とか行って、懺悔したり、祈ったりするでしょう。そうすると心の中の罪悪感とか、後悔とかが、薄らいでいく。人が体の健康を運動したり、栄養あるものを食べたりして獲得することと同じで、神社や教会は精神的な健康のためにある」的なことを述べている。
筆者のフィルターを通すとしたら、それは、「心の負債を軽くすること」だ。

さて、ここで、岡田氏は述べてなかった?と思うが、そもそも、岡田氏は、アニメに精通している人間。ここで私は、思った。
アニメやアートにもその力があるような気がする。
ここからは、私の自論意見になる。

私は、踊ることが祈りだと感じることがよくある。具体期には、ダンスの振り付けをつくったりするときに、これを見てくれる人が、笑顔になったり、楽しんでくれたらいいなという願いを込めながら作るからだ。
プロでなくても、自分の意思や、思想や、想いや、願いを持って、意識的に芸術に取り組むことは、宗教的な意味ではなく、“祈り”だと思う。

さて、では、見る側にとっての「心の負債を軽くすること」はどうか?
個人的な体験として二つある。

一つ目は、
今日(2024/06/10)、クラシック劇的なリハーサルがあった。(東京コンテンポラリーシアター)とあるシーンで、ピアニストが奏る一音一音に想いを入れているように見えた。その一音が、悲しい響きのように私には聞こえた。演奏で語りかけてくるプロの感性と表現力が、その人自身の魅力と重なって感動的であった。
このリハーサル時に、観客たちがいたとすると、それは、何を目撃することになるのだろうか。そして、演じ手たちは、何を想い演じ(演奏やダンス、演技)すべきなのだろう。

話は変わるが、二つ目に
私はよくアート(特に抽象的なダンス公演)を見にいくと、自分が今抱えている、創作が滞っているところにインスピレーションが降りてくることがよくある。実際に目の前で起きていることとは、全く関係ないような創作(シーンやフォーメーション、小道具など)のイメージが湧き出てくる。まさに、「心の負債が軽くなる」瞬間だ。
私は同業者(クリエーター・アーティスト)ということもあるかもしれない。
サラリーマンやOL、八百屋さんなど、みんなは何を目撃しているのか。

皆さんがどう感じたか、考えなどコメントを待っています。