GAFAMとSDGsの戦い。ESG投資家
GAFAMがこれからますます広がっていった社会について、直感的にわたしの意見は嫌いではない。
なぜなら、最適化された社会形成で、便利であり、自分の使える時間が増えるからである。
具体的には、広告ビジネスとされているGoogleであるが、将来家の目の前まで商品を持ってきてくれる可能性は考えられるだろう。つまり買い物に行かなくても良きタイミングで、適切な商品を購入できる。他のことを考えたり行動する時間が増える。
では、ESG投資についての意見の面白い部分も考えてみたい。
伝統文化がつくり上げるヨーロッパテクノロジーといわれる消費製品の消費者へのアプローチがGAFAMと根本的に異なる。ESG投資がそのヨーロッパテクノロジーへのモノの見方を支援しようというのである。そしてこれこそSDGsの目標なのだと。
つまり個人情報を吸い上げて、それに託けた広告を打つ企業による消費物生産活動に拍車がかかることによってSDGsに掲げた国連の目標を妨げるものに投資するのはどうなのかというのだ。
ここまで来てもわたしは、最適化されたGAFAMがつくり上げる社会がSDGsを妨げるとは思はない。消費物生産活動がGAFAMの見ている世界だとは感じないからだ。最適化とはどういうことなのか。広告とは何なのかを考えていきたい。
広告とは、自分の商品をPRできるということ。
ここに最適化とのギャップが生まれる。
最適化された必要なものという基盤に、PRできる場というのが、そもそも同じ土俵に乗っていない。
今日は久々の休みで家でゆっくりしていたら(最適化)、家にいるのは運動不足だ(PR)と土足で今まで入ってくる感覚である。GAFAMの最適化と広告の関係が見ている世界につながっていくかのこれからを期待したい。
ここまで想像して、はじめてESG投資の考えが理解できる。
わたしであれば、告知PRなどしなくとも、必要な商品(歴史文化的に極められた製品)を自然に生活の中に溶けこんでいくという考え方の方がいい、つまりEDG的な投資であり、ヨーロッパテクノロジー的思考である。
自分が日本のESG投資の対象になりそうな身近なものの発想は現段階、アニメや漫画のサブカル、こたつくらいしか思いつかない。
ところで、GAFAMの広告で言えば、広告主側、例えばGoogleにとってのクライアントが最もきちんと必要性を考える必要性がある。宮田識の"デザインするな"の考え方を考えていきたい。
「なぜ、それが必要なのか。」がSDGs、地球を救う。
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