1943年のオペラ座の怪人とアンドリューロイドウェバーの映画を比較しながら、ダンス作品として改めて解釈し、演出・構成した内容
1943年のオペラ座の怪人とアンドリューロイドウェバーの映画2005を比較しながらダンス作品に仕上げていく過程を記録する。
(忘備録的に書いているので、日本語がおかしいところや、思考がジャンプしてるところがあります)
出演者の構成として、ピアニスト、フルート、ダンサーの3名である。
まず、二つの映画を見て、気になったことが、怪人とクリスティーヌ(以下、クリス)の共通した過去や繋がりだ。
1943映画では、子守唄が共通のものとして、クリスと怪人とに繋がりを示している。アンドリュー2005映画では、鏡を通して、父と怪人とクリスの繋がりが表現されているように思った。
特に、2005映画の方では、後付けしたかのように、怪人の過去がインサートで入る。それまでは、怪人がなぜ怪人としているのかが示されていない。なので、クリスの闇の部分を鏡を通して見つめると解釈した。闇の部分とは、クリスが舞台でのし上がり主役を勝ち取ることであり、それは、怪人の願いと一致している。そして、2005映画では鏡を通して怪人の棲家(洞窟)の中にはいっていく。(余談ではあるが、2005映画の怪人が崩落する最後は、自身で鏡を打ち破り、その中に入っていく。鏡はここでもキーパーツとしての役割を果たしているように思う。)
今回の演出は、鏡を通して、自分の純粋さの光と、欲望の闇を舞台として表現しようと大きな構成が決まった。
光の表現として、白い布を用いて、angel of the musicのシーンで、フルーティストが、その布の上に座った。周りには映画のようにローソクが点在している。
闇の表現として、仮面の存在はもちろんだが、1943年映画で印象に残った、壁に映るファントムの影を、怪人の登場に合わせて舞台背面に影の演出を毎回行う。
舞台の初めには、ステージ中央に四角枠が置いてあり、これをクリスと怪人が向かい合うことで、鏡の象徴として繋がりを見せた。
冒頭は、このような抽象的な陰陽の世界観で表現される。
中盤では、ラウル役のピアニストが、クリスをかばったり、ピアノとダンスのバトルシーンを設けながら、二人の繋がりや、ファントムとの敵対を示す。
終盤のシーンでは、クリスの中にひそむ闇をクリス自信が受け入れるために、仮面を剥がし、その仮面にキスをし、怪人を抱擁するという演出を行なった。
以上を踏まえて、舞台における演出や構成における個人的な大切なポイントをまとめる。
一言で表すならばおそれは“変化”である。
①音楽の変化
②演技内容、感情、心、ストーリーの変化
③ダンスのテイストの変化
④舞台空間(美術、照明、衣装、人の配置)の変化
❺主題の回収
これら4つの目に見えるもの、見えないものが移り変わっていきエンターテイメントとし、5つ目の主題によるアート性を導き表現していくことが、舞台づくりの演出、構成の大切さのように思う。
私は、特に④を得意としているので、本作では、マスカレードの仮面舞踏会のシーンで、他に二人のダンサーを用意し、フラッシュモブのように参加することで、空間に変化を加えた。
スケジュールとしては、30分のストーリーある舞台をつくるとして、
演出プランを作るのに3〜4日、
細かな動きや振り付けをするのに、2週間くらい。
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