【▼アート・舞踊・美術の様式美】能の前シテ・後シテが同一人物の面白さの理由、大蛇の作品

 様式シリーズは、伝統的なものの様式と私のアーティスティックな創作的な儀式をお届けするコラム。

今回は、能の前シテ・後シテのお話。

シテは物語の主人公である。そして前シテ・後シテ二つにある時、この二つは、基本的に同じ人が舞う。ここがとても面白い。

具体的にいうと、大蛇(八岐大蛇と素戔嗚尊の話)という作品では、アシナヅチ(クシナダ姫のお父さん、前シテ)と大蛇(後シテ)は同じ人が舞う。

また阿漕という作品では、漁師が魚を釣る殺生が辛いと嘆き(前シテ)、昔ズルをシテ密漁してた阿漕という人(後シテ)が、地獄で苦しんで助けを求める様をえがく。

これをみてもわかるように、同じ人が途中で違う姿になる必要があるということである。

ここからは私的な感想であるが、

これはエンタメ性として、暗い部分、明るい部分(大蛇はわかりやすい。父は娘が取られて困っている→大蛇は暴れる)が両方見れて楽しいし、ストーリーとしても描きやすい。

また、同じ人が舞うことで、相手の立場や気持ちを理解する大切さがわかる。(父は娘を奪おうとする大蛇の気分になってみて何故そうするのか考えてみたいものである。)

また、人は両面を持っているということ。阿漕がわかりやすい。殺生が辛いと嘆いている人が、密漁していたという流れで物語が進む。これは逆に、地獄で苦しむ(密漁の罪)ことで、殺生の意味をしった漁師とも取れる。

個人的には、このように変化することをトランスフォームと言っているがとても好きな演出方法である。

おすすめ本→まんが能百番