【土方巽シリーズ②】土方巽の舞踏譜:スクラップブックから生まれる身体言語
はじめに
舞踏の創始者・土方巽は、独自の振付手法「舞踏譜」を確立しました。今回は、慶應義塾大学アートセンターの資料室で実際にスクラップブックを見た体験から、土方巽がどのように振付を創造していたのか、その手法を解説します。
スクラップブックという振付の設計図
視覚的構成の特徴
土方巽が使用していたスクラップブックは、A4サイズより一回り大きいノートに、雑誌から切り抜いた絵画や写真を貼り付けたものでした。特徴的なのは以下の点です:
- 大胆な配置:細々とせず、大きくバーンと貼る
- 絵画中心:ピカソ、クリムト、パウル・クレーなどの作品
- 言葉の添え書き:絵画に関連する詩的な言葉やイメージ
例えば「疾れ飴」という作品のスクラップブックには、クリムトの絵画とともに「横たわる女たちの極度なスローモーション」「孔雀になろうとして崩れる」といった言葉が書き添えられていました。
イメージから動きへの変換プロセス
三層構造の創作過程
土方巽の振付創作は、以下の三層構造で進められました:
- ビジュアルイメージ(絵画・写真)
- 動きと言葉(舞踏譜)
- 音・リズム(オノマトペ)
重要なのは、絵画の具体的な形を真似るのではなく、その「質感」「温度感」「雰囲気」を身体化することでした。
上位概念への昇華
研究員の方の説明によると、土方は個人的な感情や経験を超えた「上位概念」を追求していました。例えば「怒り」という感情について:
- 個人レベル:それぞれが持つ具体的な怒りの記憶
- 上位概念:誰もが共通して認識できる「怒り」の本質
この普遍的な本質を動きに落とし込むことで、踊ったことがない人でも実践できる振付を創造していました。
舞踏譜の実践的側面
動きの名前と型
土方巽は、バレエのパ(基本動作)のように、特定の動きに名前を付けていました:
- 具体的な動き:「蟻の動き」「自転車」
- 抽象的な動き:「パウル・クレー」「クリムト」
これらの名前を言えば、その動きは決まっており、ダンサーはそれを再現することができました。
重層的な振付構成
1970年代中盤以降、土方の振付はより複雑化し「重層的」になっていきました:
- 蟻の動きをしながら
- 温度が上がっていく動きを加え
- 怒りを噛みしめる動きも追加
- 象の動きも重ねる
このような多層的な動きの積み重ねにより、一歩歩くだけでも濃密な時間を要する、独特の舞踏スタイルが確立されました。
音楽ではなく「音」の世界
生命のリズムとしてのオノマトペ
土方巽の振付において、音楽は稽古の最終段階(小屋入り直前)まで決まりませんでした。代わりに、各動きには固有のオノマトペが付随していました:
- 「ヒュー」という風の音
- 「フワココ」という質感の音
- 「トントントンタンピタ」というリズム
これらの音は、生命の内的リズムを表現する重要な要素でした。
大量生産を可能にした振付システム
効率的な創作の仕組み
土方巽は1970年代後半、年間10本もの公演の振付を手がけていました。これを可能にしたのは:
- 確立された舞踏譜システム:言葉と動きの対応関係が明確
- 多層的な作業方式:複数の作品を同時進行で創作
- 再現可能な振付:誰でも実践できる明確な指示
舞踏の本質:個性の発見
決まりの中から生まれる自由
興味深いのは、振付は厳密に決まっているにもかかわらず、実際の映像を見ると、ダンサーそれぞれが独自のリズムで踊っているという点です。これは:
- 振付という「型」は共通
- しかし各人の身体性や感性が自然に現れる
- 踊ったことがない人のために作られた振付だからこそ、その人の個性が見えてくる
まとめ:視覚から身体へ、そして言語へ
土方巽の舞踏譜は、視覚的イメージを出発点として、それを身体化し、さらに言語化するという独特のプロセスを経て生まれました。このシステムは:
- 絵画や写真の「質感」を身体で捉える
- その動きに名前を付けて再現可能にする
- オノマトペでリズムを内在化する
- 重層的に組み合わせて作品を構成する
という段階を経て、濃密な舞踏作品を生み出していました。
土方巽の手法は、単なる振付技法を超えて、人間の身体に潜む可能性を引き出す独創的なアプローチだったと言えるでしょう。慶應義塾大学アートセンターでは、これらの貴重な資料を実際に見ることができます。舞踏や身体表現に興味がある方は、ぜひ訪れてみてください。
本記事は、慶應義塾大学アートセンターでの資料調査と研究員の方への聞き取りを基に構成しました。


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