ダンサーインタビュー:「本物の表現」を探る創造の現場から

2023 / 01 / 16

ダンサー本間達也インタビュー要約

核心的発見:「ダンス的ロゴ」という創作手法

達也の創作プロセス

  • デザイン教育の背景から、「ロゴ」のように複数の意味を一つのシンプルな形に集約する手法をダンスに応用
  • 膨大なリサーチ・ブレスト → 直感的な「幹」の発見 → 枝葉(演出)の展開という流れ
  • 例:「破く」「かき混ぜる」など、説明的でない象徴的な行為

「本物の表現」の条件

内的要因

  1. 自分の言葉を唱える – 説明ではなく、自分の実感に基づいた言葉・動き
  2. 心と体の一体化 – 考えすぎず、原始的・本能的に反応する状態
  3. 個人のリズムへの忠実さ – その人固有のペースやタイミングを大切にする

外的要因

  • 役割上必要な要素(自害、音楽など)を踏まえつつ、それを自分なりに解釈する

「嘘の表現」とは

  • コントロール意識が強すぎる状態(怒りを「盛り上げよう」とするなど)
  • 個人のリズムから外れた動き
  • 「何をしていいかわからない」状態での表現
  • ただし、本人が本物だと感じていれば本物という相対性も認める

最終的な理想:「自由」な表現状態

達也が目指すのは、様々な制約や技術を身につけた上で、最終的にそれらから解放された「自由」な状態。障害者の表現などを例に、「こうあるべき」という枠にとらわれない純粋な表現力への憧れを語った。

この創作観は、デザイン思考とダンス表現を独自に融合させた、極めて知的かつ身体的なアプローチといえる。

「本物の表現」について

A: では本題のインタビューに入らせていただきます。予言者の作品で、ヤクという黒い布を破くというアクションをやることで、表現が本物になったという話が印象的でした。タツヤくんの「本物の表現」と「嘘の表現」の違いについて、具体例を挙げながら詳しく教えてください。

達也: 多分、考えてないんでしょうね。直感みたいなものが働いて。もちろん失敗の割合の方が多いと思うんですけど、8割ぐらいは失敗する気もするんですが、確率が高くなってきて、ドンピシャの時が来ると「これだ」ってなるんです。

予言者の時は、結局あの日は2箇所でリハーサルしたんですよ。下馬で練習して、その後花見に行って。5曲ぐらいあったうちの5曲目、エンディングをどうやって作ろうかなと思っていました。

創作プロセス:外側と内側からの要素

達也: ちょっとできなくて、自分のイメージ先行、自分のやりたいこと先行で行こうと思いました。形から入るというよりか、どう見えるかではなく、自分がやりたいという、自分が作る世界観が結構好きなんです。

A: その要素というのはなんでしょう?

達也: 絶対踏まえなきゃいけない部分もあるし、予言者の場合は、予言している内容が4つぐらいあったので、それを一旦入れておくかと。入れてくれとは言われてないですけど、作るきっかけになるし。

僕はブレストを結構やるんです。ワークショップをする時もそうなんですが、一旦書きまくるんですよね。文字が多いです。それを選択していく時に、出てくるやつなんですよね。絶対やらなきゃいけないわけじゃないんだけど、出てくることが。

A: 具体的にどういうことが出てきますか?

達也: 予言者で言うと、「灰色の煙がひどい国」「緑の国へと読み替える」とか、ひどいものが緑の何かに蘇るとか、真の魂が新しい形になって蘇るべしみたいな。これを主に入れたんです。

これをチョイスしたのは僕で、やれって言われてないですよ。いっぱい文字が書かれている中で、これがめっちゃ僕に関係あるんで、これ入れようって思った。緑の布もあって、そういうのってやっぱり狙ってなくても起きる時があるんです。

世界観と「おいしいシーン」

達也: 世界観っていう言葉はちょっと難しいですが、「おいしいシーン」っていうのはあります。オペラの怪人だと、クリスが白い布に座っているシーンとか。影のやつは絶対やりたかったんで、バッと出てきてバッと踊っている、それがどこから出てくるかは会場との関係で考えられないんですけど、とにかく影を入れたいみたいな。

でも登場とかも決まってないんですよね。とにかく影を入れたい。

A: じゃあそれを、どこでこのおいしいシーンを使うかは実際創作しながら?

達也: あれの場合は音楽の関係もあるんで。ストーリーと音楽もシンクロしちゃってるから、音楽に合うようにして、タイミングは自動的に決まる時もあるし、こっちが決められる時もある。

「本物」が生まれる瞬間

達也: 結局、下馬で練習した方法をそのままやってみようって思っただけです。なんかわからないから、とりあえず、黒いわしゃわしゃが右左にあるっていう、ただそれだけ。「これだ」ってなって、これにどう自分がアプローチするんだろうってやったら、ちょっと破いてみたってだけです。

その時の気持ちとリンクしたからです。そこは本物なんですよ。別に破るじゃなくても、気持ちがリンクすれば本物だと思いますね。

A: ということは、アクションがどうっていうよりは、そのアクションを取ることで生じる気持ちが、実際にその役として体験したい人の気持ちだったら、それは本物になるということですか?

達也: そうですね。難しいですね。本物ってなんかいろんな本物がある気がして。動きの本物と気持ちの本物もある気がしてて。どっちが先っていうのはないんだよな。この動きをするとこの気持ちになって、それが合ってるから本物って感じでもない。それが全てが同時に起きる感じです。

内側と外側からの「本物」

達也: 本物のことで言うと、1個は、自害しなきゃいけないんで、そこに追い詰められるような気持ちになることをしないといけないっていう外側から来る本物。

もう1個は、やっぱり自分の過去とかとリンクする感じですよね。自分の辛かったこととか、死にそうなぐらい辛かった自分のこと。人によって大なり小なりあると思うんですけど、自分の中のおっきいものみたいなものに、こうなんか、リンクしたり、触れてる感じになると、いいなって思います。

作るっていうと、ちょっと嘘になるんですよね。作るという過程がなんか無理してない感じです。

子どもたちから学ぶ「本物」

達也: 子どもたちとか見てるとほんと思うんですよね。温暖化についてやりましょうってなった時に、一番最初に話してくれた男の人、あの人が本物っぽい感じ。やっぱ自分で考えて、でも正解とかじゃないんですよね。その人にとって本物だったら、全部本物でいいんじゃない。

A: 求められてもないのにやることが本物?

達也: 究極、求められてもないのにやるのが本物って言うと、ちょっと極論過ぎて違うような気もするんだけど。でも、やっぱ自分のためにやってますもんね、これ完全に。自分の過去を解消しようとしてたりしますもんね、きっと。それって本物ですよね。

面白いって思えることを作ってるんですね。やっぱ楽しんでもらいたいとか、驚いてもらいたいとか、相手っていうのがやっぱいて。喜んでもらいたいっていうのはありなんでしょうね。

直感と必然性

達也: やっぱこう、直感みたいなのしかないですよね。結局は直感で、その根底があって。自分が思ってるイメージみたいなのがあって、それは直感的にあって、やってみたら良かったって、そこに必然性を感じたっていう。

必然性狙うとなんか嘘になりそうですもんね。後から見つかるのかな、必然性って。

感情とダンス

達也: 自分がこう、熱いって感じたりとか、この人嫌いだなって思うのは、本物だと思うんですよね。周りからどう言われようが、それを思いながら、ダンスでやってるだけって感じです。動いてるだけ。それを思いながら。

感情と身体ってすごく大切だなって。ダンスって感情のアートだよな。ダンスって運動なんだけど、音楽が時間で、絵描くのが空間だとしたら、ダンスも両方あるんだけど。ダンスと音楽、歌とかは、特に感情を乗せやすいっていうか、感情を表現するのにすごく適してる。

外側にあるものに対して動いてるけど、動いてるのは、内側のものを唱えてるって感じです。唱えてるのが大切ですよね。破いてる時も、すごいなんか言ってましたもんね。

懺悔に美学を感じる

達也: 僕、懺悔ダンスが好きなのか。懺悔に美学感じるんですよ。土下座する人なんか、文脈によって、土下座はすげえかっこいいと思うんですよね。責任を全責任をちゃんと自分でとってるっていうか。

ドラネコの懺悔ダンスは本当わかりやすい。本当、ごめんなさいって言い続けるって思って、ただただ音に合わせて動くっていうだけなんですけど。音楽なってたら申し訳ないって思いながら、それのことを「祈り」って言ったんですよ。

予言者でも、自分が立てた誓いみたいな、その預言者っていう能力の誓い。世界を救うみたいなことが成し遂げられないって言って申し訳なくて。そこに自分の気持ちに嘘偽りないっていうか、入り込んでいく。演じてはいるんだけど、よく憑依されるって聞くことあるし、ほんとその状態に近いような感じです。

このインタビューは、創造の現場で生まれる「本物の表現」について、ダンサーの視点から貴重な洞察を提供してくれました。直感と感情、そして内側と外側の要素が複雑に絡み合いながら、真の表現が生まれる瞬間を垣間見ることができました。

説明ではなく、心を動かすセリフ

A: 温暖化のワークショップでも、「これだと説明になるので」みたいなことをおっしゃってましたね。

達也: その説明の中にその人って登場してないんですよ、あんまり。本人みたいな人が。本人が本人のこと説明した時に、その本人の心が動いてるかっていうと。心動かすためにセリフにしてるんですよね、多分。

「自分の言葉」で表現すること

A: 本物になりやすい状態というのはどういうことなんでしょうか?

達也: 絵を描いてる時、セリフを言ってもらってたんです。昔、この絵がなんかセリフを言ってるから、と。そのセリフの方が心が動く。

演劇なんかで、誰かが言ってたことにヒントを得て、そう思ったんですけど。踊ってる時に踊ってるんじゃなくって、なんかこう、意味があって踊ってるっていうか、なんかこう、唱えてるとか、そういうセリフを喋ってるんでしょ、ぐらいなことを言ってた気がするんですよ。

脚本を見た時に、ト書きだけじゃ演劇って成立しない気がしてて。必ず鍵括弧で誰かのセリフが入ってくるじゃないですか。入ってきた方が、いわゆる演劇になったりする。

A: カコさんからも言われたことがあるんですね。

達也: カコさんが、昔、2011年とか12年の最初の時に、丸とか三角みたいな、結構説明的なことをやってたら、「あなたがどう思ってるの?」って言われたんですよね。カコさん、すごく印象に残ってて。俺がどう思ってるかをやらないと意味がないっていうか、それは、あなたがやる意味がないから。

そういう自分の言葉。言語を言ってもいいし、踊ってもいいんですけど、それがあると本物っぽい。

「酔える」状態としての表現

A: 魂の表現という言葉も使っていましたね。

達也: それは多分、酔ってただけだと思います。ナルシストですけど、ナルシストがやっぱあるんでしょうね。でもナルシストはいいんじゃないですかね。自己愛も大切って思えば大切だから。

酔えるっていうか、そういった意味で好きだったんでしょうね。みんなが自分のことに集中できたりとかするのは、いいことなのかもしれない。

A: 酔うっていうのは、自分に集中するということですか?

達也: そうですね。集中できて、で、なんか、それで楽しかったり。預言者は別に楽しくはないんだけど、でも、終わったりした時に爽快感になる。

心と体の一体化

A: それが、自分の言葉を唱えながら、外側にあるものに対して動いている状態。

達也: そうですね。なぜ動くのかがわからないですけどね。ダンスだから動くんでしょうけどね。

まとめると、本物とは…外側って言っても、その外側、本当の外側っていうよりは、なんかイメージの外側、イメージにおける外側って感じですね。イメージのことだったり、音だったり。自分以外って感じなのかな。

野良猫の時はほんとなんもなくて、音楽が外側だったんですけど、もうなんか、心で思ってることと体っていうのが一体になるみたいな。それだけでいいのかもしれないですけど。

A: 心と体が一体となって表現している状態。

達也: それを、やるために唱えてみたり、唱えるのが一番いいと思うけどな。唱えてなんか動くだけで十分だと思うんですけど。動けない人は、なんか、その、音楽になってみたりするんでしょうけどね。

生命研究所での発見:「かき混ぜる」という行為

A: 「自分の言葉」というのは、しっくりきました。説明というのがいつも対立仮説にある気がして。

達也: 破るに近いので、生命研究所のかき混ぜてる、卵でしょ。かき混ぜるっていう行為、あれはもうエンターテイメントだったんですけど、かき混ぜるっていうシンプルな行為と、生きるっていうのは、コミュニケーションっていうか、インタラクションというか、行って帰ってくるっていうか、そういうもんだ。

人生、混ざってこう、みたいなこと思いながら、あれかき混ぜて、ゴーゴーゴーゴーみたいな感じ。そうすると、なんかパワフルになってくるよ、みたいなことを思いながらやってました。

A: 人生混ざってこう、ゴーゴーゴーは唱えてた。

達也: 唱えてました。でも、やっぱセリフにした方がよくって、なんかもっと、イケイケイケってっていう、イケイケって思ってる。外側の人間が、その誰かに対して、生きるっていうのはこういうもんだよって、言う側だったんでね、客観的な存在ではあるんですけど、自分の哲学として、人生として混ざってくっていうのがいいってなってるんで、いけいけって、まぜまぜって言ってたかな。

必然性の発見プロセス

達也: でも、あれがやっぱどうやって生まれたかって言うと、やっぱわかんない。なんか、適当だったからな。預言者に関しては、あの時、ほんと何もわからない状態作ってたから、なんで混ぜるに行ったか全然覚えてない。ほんとに、それこそ、直感っていうか。

でも、やっぱ、ブレストはやってて、生命研究所、いっぱいあるんで、その、卵ってあるんですよ。卵の殻にこもってるってイメージがあって、自分の中で、自己否定の分は卵っていうのがあったんです。

A: それが必然性。

達也: そうですね。そういうことが起きますよね。だから、やっぱ下地大切なんですよね。いろんなこと考える。

A: 普通の人だったら、殻を打ち破るみたいな、説明的になる。

達也: なんか、ミュージカルも僕の中で説明だと思ってる。説明じゃなくてセリフで言ってると思うんですけどね。結構やっぱ叫んでます。演劇の人たちはやっぱそこが素敵だなって僕は思います。

デザイン的思考の背景

A: なんで「かき混ぜる」や「破く」というジャンプになるんでしょうね。

達也: 僕がやっぱあれだと思いますけどね、デザイン上がりだからだと思いますね。ポップでやりたいなと思います。その、複雑な方やるっていうよりかは、混ぜる、破くみたいな、アイコニックにしたいんだと。単純に僕の好みっていうか、デザインの現場っていうか。

大学2年生ぐらいの時に、そういう作品結構たくさん作ってて。課題があって、家、建物。地表じゃなくて、全部地下に入れたらよくね、みたいな。極端にするのが手法ですね。シンプル。極端にするの好きで。

A: 合体する、単純にパーツを合体すればいいっていう感じじゃなくて、そのパーツもパーツとしては面白い。

達也: やっぱ結構訓練、4年間訓練してたんで、それはめちゃめちゃおっきいと思いますね。いろんな情報をまとめ上げて、1つの何かにするって。脳がなんかちょっと1回スパークするっていうか、煙が出てから一旦落ち着かせて、散歩でもして、みたいな。

「幹」を見つけることの重要性

A: ダンス的ロゴみたいなのが破くとすると、もうそれが見つかっちゃえば、じゃあそこにどう向かうのかとか、そこをどう見せるかとか、そういう計算ができるようになる。

達也: そうですね。もうそこはほぼ不動なんで。信頼して枝葉を作ってデザインするんですよね。幹ができないと、枝葉はブレブレになって、意味のないことになっちゃう。

枝葉をやっぱ作る。枝葉から作ってくと、やっぱ幹があんま定まってないと、なんでもいいってことになってるんで。変えてもいいわけなんですよね。

A: 幹が見つかった場合は枝葉に自信を持てる。

達也: 変える必要がないっていうか。幹が強いから。なんか見つけたいんですよね。幹を。今言ってたロゴみたいなことなのかもしれないです。

表現者としての発見体験

A: 破くを発見した時の熱量って結構なんか、レッスンの帰りにみんなに話してた時にも聞いたんだけど。

達也: あれもいいかもです。でも、あれ、身体じゃないんでね。なんか、そこまでの熱量がなかった自分は、表現者として痛いのかもしれないですね。俺が踊るってことに意味があるって思ってるのかもしれないですね。

鏡はね、なんかこう、小道具として発見したんでね。これはいい小道具とか、美術ですね。美術家として。自分の根底が表現者なんだな、と。

創作における「本物」の方法論

A: 本物にするための説明的ではない方略っていうのがめっちゃ面白い。

達也: 本物でもそうですね。本物と嘘、ちょっと難しいんですけど、でも今のその創作で出てくる幹みたいなやつは確かにそうですね。本物ゆえん、本物にするためのその方法みたいなのが今みたいなやつですね。

これ好きですね。好きだし、そうありたい。でも毎回そんなうまくいかないから。

このインタビューでは、表現における「本物性」がどのように生まれるのか、より具体的なプロセスが明らかになってきました。デザイン思考とダンス表現の融合、そして「幹」となる核心を見つけ出すことの重要性について、興味深い洞察を得ることができました。
・「自分の言葉」の重要性 – カコさんからの指摘で気づいた、説明ではなく自分の言葉で表現することの大切さ
・「酔える」状態 – ナルシスト的な自己集中状態が表現にもたらす効果について
・心と体の一体化 – 本物の表現が生まれる時の身体的・精神的状態
・生命研究所での「かき混ぜる」 – 具体的な創作例として、アクションと内面の哲学が結びつく瞬間
・デザイン思考の影響 – 大学でのデザイン教育が現在の創作手法に与えている影響
・「幹」を見つけること – ロゴデザインのように、作品の核となる要素を発見する重要性

「嘘」の表現とは何か

A: 逆に、うまくいかない時はどういう風になるんでしょうか?

達也: 預言者の1曲目とかは、自分の引き出しっていうか、もう、なんかやるか、みたいな。とにかくやらないといけないわけじゃないですか。ってなった時に、もう目の前に見える回答をただやるってだけですね。

家族会議とかもそうですよね。2014年の家族会議とか、しっちゃかめっちゃか。ブレストがぐちゃぐちゃして、フルコースだとして、最初に中華みたいなの出して、日本食出して、味噌汁も出しちゃって、みたいな。横並べでもなく、上にも出しちゃって、下にも出しちゃって、こぼしちゃって、みたいなことが起きちゃってる状態。

「本物」の範囲について

A: 嘘って、ジャズダンスの笑顔だって以前おっしゃってましたね。

達也: はいはい、なるほどね。表現としての嘘。笑顔はありますね。でも、本人が本物だと思ってたら、全部本物なのかも、っていうだけの話かもしれない。

本人、本物だと思ってて、見てる人が、なんか、ちょっと、今そんなこと思ってないでしょ、って思ったら、本物なんだけど、こっちは嘘っていうだけの話かも。本物は本人次第で嘘になるとか。

A: じゃあ、タツヤくんが、あ、今、嘘の表現しちゃったなって思うのは?

達也: いっぱいありますね。考えちゃうとそうなりますよね。破いてる時とかも、やっぱ2回目はちょっと考えちゃったんだよな。怒りに入っちゃった。どうして見せた、見たんですけど。ただ、1回、怒りに入っちゃったって思って、その状態で怒りを盛り上げようとする。この、この意識、コントロール下に入った感じ。

原始的・本能的な状態

達也: そうすると、なんかこう、ちょっとね、もうちょっと、やっぱ、本能的に、原始的みたいなところで、ナカさんがよく言う、その、ボートに乗ってる感じ。で、右に何か流れてきたらこっち避けるみたいなレベルで反応してる感じ。ああいう時は本物で、それ以外は嘘じゃ…嘘かっていうと、そうでもないんですけど。

多分、ちょっと遅れ、色々遅れちゃうんですよね、考え。リズム、その人のリズムってあって、あれに忠実じゃなくなるんですよ。合わせようとして、なんか、ちょっと、早くなっちゃったり、次のこと考えちゃったりとかし。

練習での実験と発見

達也: この間の練習、26分ぐらい音楽かけてたらしいんですけど、これ見る限りでは多分1割も本当に踊れてないですよね。90パーセントぐらいは考えてる。練習だからいいんですよね、それはね。

A: その10パーセントの本物の時はどうしてた?

達也: 何も見ない状態でやると、それまさに原始的な脳と繋がってる感じです。心地よく踊ってる。音楽と体が一致して動いてる感じ。あるがままで踊ってる感じですね。ただ、それがいいパフォーマンスだったかっていうと、そうでもないっていうことを、これを見て思ったんだよ。

「迷い」と表現の関係

達也: 迷いがない何かがあって、迷いがない何かの中で、原始的に動くってことです。何していいかよくわからない状態で踊っちゃうってことが嘘。迷うんだったら迷ってますっていうことを踊った方がいいですね。そしたら本物になるかも。

あと、自己評価がすごい難しい部分はあって、その、迷いないんだけど、こうじゃないんだよなっていうことを踊ってる時もあるんですよね。本物にしようと努めてる努力があるんだけど、こうじゃない。なんかこうしか今んとこノウハウがない状態でやっちゃって。自由じゃない感じっていうかね。

「自由」という状態への憧れ

達也: 多言語のワークショップの時とか、自分が自由になれた時があって。チーちゃんっていう、モンゴルの子が、なんか変な形作り始めた。座って、足をこうやってあげて、変な形を。それを見て、なんか、自分、なんでもいいんだ、みたいな。あれで外れたじゃないですか。自由になりましたね。あれで。

A: なんか、自由っていうのと、幹を見つけるってイコールなのかな、みたいな。

達也: かもしれない。確かに。自由になるためのミキみたいな部分もある。そこが見つかると多分自由になれるんだよね。解放される何かに。

セリフからの自由

達也: 昔、カコさんのレッスンでよく考えてたのは、なんかいかに最後自由になるか、自由になるために何するかみたいなことずっと考えてたんで、その時やっぱセリフばっか多かったですけどね。セリフからの自由は多かった。ミキみたいなセリフを言って、で、それが上手かったのは荒川さんですね。

そのセリフで全てが伝わってて、文脈共有されて、そうすると、あとはもうそれの状態に近い動きをするっていうか、そうなるんで。そうなると、もうそれはもうなんか成立し、自由に行けるっていうかね。

障害者の表現から学ぶこと

達也: 前、昔、ここに貼ってあったんですけど、「障害者以上に気違いになる」みたいな書いてあって、それの意味ってそういうことなんですよね。結構えぐい形するじゃないですか、みんな。普通じゃない行動で、すごい面白い行動する。

ああいうのを、ステージに上がったらやっぱそうあるべきだよなって思うんですよね。不自由な体の中で何かをやろうとしてたら、もう、そしたら尚更それが倍増になってやってくるんで、その、不思議な動きと相まって、純粋なパワーみたいな。すごいな、みたいな。

なんかこうあるべきっていうのがない方が、ほんとはやっぱいいよね。

本物と嘘の境界線

達也: 本物の時が、すごい狭くて、それ以外が割と嘘。け、嘘っていうのが悪いことじゃないんですよね。嘘もあれが嘘なのかっていうと、嘘じゃない気もするし。

本物が結構やっぱ狭いのかもな。本物をどこに持ってくかにもよるんですけど。表現としての本物とすると結構広いんすよね。でもミキの話すると結構狭くなる。創作としての本物みたいな感じ。


最終回では、「本物の表現」と「嘘の表現」の境界線について、より深く掘り下げられました。達也さんの表現における「自由」への憧れと、それを獲得するための様々なアプローチが浮き彫りになりました。障害者の表現から学ぶ「あるべき姿」にとらわれない純粋な表現力についての洞察も印象的でした。

・「嘘」の定義の困難さ – 本人が本物だと思っていれば本物という相対性
・原始的・本能的な状態 – コントロールを超えた反応としての本物性
・「迷い」との関係 – 迷いがない状態での表現 vs 迷いを表現すること
・練習での実験と発見 – 意識的な探求と無意識的な表現の割合
・「自由」への憧れ – 表現における最終的な理想状態
・障害者の表現から学ぶこと – 「あるべき姿」にとらわれない純粋な表現力

このインタビュー全体を通じて、創造の現場における「本物性」の探求が、単なる技術的な問題ではなく、存在論的な問いかけであることが明らかになりました。デザイン思考とダンス表現の融合、内面と外面の一致、そして最終的には「自由」な状態への到達—これらすべてが、真の表現者としての成長過程において不可欠な要素として浮かび上がってきたのです。