【本】世阿弥「風姿花伝」を読んで

2021 / 09 / 29

年齢

7歳は、偶然の得意を発見する。そして本番では観客の温まりの場で登場し成功体験を掴ませる。

12、13歳では、稚児姿の魅力を使うべし

24、25歳では、体格も発声も成長で整っていき、本格的な場として新鮮さで売り出していく。一時的な魅力の花。

34、35歳では、境目、名声を得ていれば今後も続く可能性がある。その名声を得ている「花」を見極め考え、極めるべし。

44、45歳では、芸の魅力は、旬な若い人に劣る。この歳まで無くならない芸の魅力「本当の花」があれば一生無くならない。そして二番手を育成して、己は、欠点が出ないような、手の込んだ能でなく、年相応の、無理なく楽々とできるものが良い。二番手の役者に多くを譲って控え目くらいがよい。

50歳以上は、全くなにもしない。しかしながら、本当の花があれば、舞って感動を与えるだろう。

物真似について、

女、老人、直面について難しい。
女は扮装が大切、
老人はそもそも魅力がないといけない、
直面は演技や動作が大切。

物狂い、神や仏は憑依本体の様子を演じればやりやすい。一本調子ではなくストーリーの起伏と見せ場を大切に心理に入った狂乱をすると良い。

修羅は難しい。これには華やかなシーンがあってほしい。狂乱の演技は舞との分けて考える必要がある。

神は鬼系統の演技。どことなく荒ぶるので、鬼風になるのは問題ない。ただし、神は舞踊系の演技に向いている。鬼には舞踊系の演技の手がかりがない。
神にふさわしい扮装で、気品があって、着崩れないようにすべし。

鬼は、最も難しい物まね。恨みを抱く亡霊の鬼は面白く演じる手がかりがあり容易。相手に向かって、かぶり物に応じて動ける手がかりがある。しかし、地獄の鬼は上手にまねると恐ろしいので面白い点はない。恐ろしさと強さは、面白さとは別物である。鬼の突き詰めた稽古とそれ以外の演技のバランスが大切。

唐事は、中国風に演じること。扮装が見分けがつきやすいので分かりやすい。

問い

「今日の公演がうまくいくかはわかるには?」
→観客の集中が重要。
ざわざわしていたら、主役までを引き伸ばし待ちかねたところで歌い上げると惹きつけられる。もしくは、いつもより派手に登場して注目を集めるのも良い。全ては観客を静めて集中してもらうためである。
また、夜は陰鬱なので、できる限り早くにぎやかで良い作品を演じる。昼は、逆に静まるのを待って遅くに良い作品を演じる。陰陽和合で釣り合いを取る。

「序破急の配置は?」
→まずは、できる限り権威のある正統な話で、上品な内容だが手が混んでいないものをすらすら演じる。めでたさが大切。
二番目は良い作品を演じるのが良い。
最後は、急迫したテンポで演じる。
また、二日目には、最初とは違った姿の能を演じるべき。

「優劣を競うものに勝つには?」
→自分の作品を持つことである。自分の作ったものは、セリフも演技も精神面も全て完全に掌握できる。

「年功を積んだ役者で若い役者に負けることがある?」
→これは、若さゆえの一時的な魅力を放つからである。しかし、50歳を過ぎても芸の魅力がなくならない時は、どんな若者でも勝つことはできない。上手を超えたものがある。

「下手な人が上手い人を勝る部分がある?」
→上手にも欠点があるし、下手にも長所がある。相手を観察することで、自制し慢心しない。上手な人の技を盗み、下手な人の工夫を得る。
上手は下手の手本、下手は上手の手本。

「芸格の違いを認識するには?」
たけ(芸の品格)は生まれつき備わっているもの。
かさは、押し出しが立派で迫力があるもの。
位は、舞台姿が優美なこと。稽古において位を目標にしてはいけない。稽古の謡、舞、演技、役作りの結果自然に現れるものだ。

「言葉に対応した所作とは何か?」
あらゆる動作語に応じて体を動かせば自然と演技になる。重要なのが、第一に体を動かすこと、第二に手を使うこと、第三に足を使うこと。

「花を知ることは、どうしたら実現できるか」
まず、物まねの各条を何度も検討し、あらゆる能を演じ、芸の工夫を極めた後に、まことの芸の魅力を知る。花を知りたければその種をまず知る。

奥義に云く

近江申楽では、歌舞で姿の美しさを
大和申楽では、写実的なものまねを
重要視している。これは両方やるのがいい。
あらゆる演目を演じ尽くし、演出の工夫を徹底的にやり抜いて、永遠のゲイの魅力を獲得する。
自論としては、ここの区別を初めの頃は意識することが良い。

芸能は心を豊かにし、感動を生み出すことが肝要で、これが福徳を増し寿命を伸ばす。つまり、観客の対象によって、演技を工夫する必要がある。
教養のある人が集まるときには品格・芸位が高く、
ないときは、工夫をする。

花修

能を執筆することは、この道においてとても大切なこと。
興業最初の能は、すぐにわかるような物語を題材に書くべきである。手のこんだものでなくとも、真っ直ぐでわかりやすく、最初の部分から華やかが良い。
また、興行が進んで山場となるときには、できる限り演技に工夫をつくし、細部まで念入りに書く。
例えば、名所にちなんだ曲ならば、その場に縁のある詩歌と耳慣れた文句を作品の急所に集めるのが良い。(能においては、シテに名文句を集中させることが最も大切)
良い能とは、出典が正統的で、新鮮味のある演出で、山場があって、作風が優美と考えて良い。その次に、演出が普通で、あまりゴタゴタしておらず、構成がすっきりして面白い演技があるものが良い。
能は、演じるにふさわしい時と、曲順が重要。
逆に演じてはならぬ能とは、老いた尼や僧侶がむやみに荒々しくなることや、鬼神のような荒々しい役柄で、優美に舞うこと。

意味に導かれてこそ、あらゆる演技になる。意味を表現するのは言葉(謡)である。その上で謡があり。謡が主で所作が従。謡から所作が生まれるのが良い。

⭕️強い芸と幽玄な芸、❌弱い芸と荒い芸について
ものまねにおいて、后妃や遊女・美男美女などは幽玄で美しい。
また武人や鬼や神、松や杉は強いもの。これを幽玄だから幽玄に演じたり、強いから強いと演じるのではなく、忠実にものまねをし、似せようと考えるべきである。
でないと、幽玄に演じるはずの芸が強いと、荒くなる。もしくは、強く演じるべきものを優美に演じると弱くなる。

作品の良し悪しについて、技量よりも能の適合する種類を見定めることが重要な場合がある。適合とは、上演の場所や時期、観客の知識、役者の芸格、作品性である。例えば、田舎の小さな催しで成功したからといって、全く同じ内容が全てで通用するとは限らない。見識のある人が見る舞台では、それに合う内容や演者がいる。技量があって能を面白くできる主体的な人であっても、あらゆる前提を考慮した条件に当てはまるものを提供できることの方が、一座を成功に導く。

別紙口伝

面白いとは「花」「めずらしさ」「新鮮さ」である。
花は季節によって移り変わっていくように、能も流行りや好みによって変化していく。そして、同じ演目でも、変化が一巡する頃には、新鮮な気持ちで見ることができる。
また、同じ役だけやるよりも、例えば、優美な芸風と観客に思射込んでいるとところで、意外にも鬼を演じれば新鮮に感じる、これが花である。

技量が同じ演技者や謡、舞でも、どう演技すれば面白いかという効果と工夫を極めたものは、同じ演目でもいつも「珍しさ」を手に入れることができる。

上昇期の男時と、下降期の女時。(性差とは全く関係ありません)
調子が良くうまく行っていることが続く時は、どこかで、うまくいかなくなる時がくると認識しておいた方が良い。これは人力ではどうにもならない因果である。
うまくいかない時は、力を温存して、演出に凝ったりせず、無理せず適切に行うくらいでよい。重要な時にだけ、工夫や得意なものをぶつけて行うことで、観客は意外性を楽しむことができる。この男時に自信作をぶつけるのがいい。

能の制作は、「種・作・書」で成り立つ。これは、
①“題材(典拠となる説話の中核である主人公を選ぶ)“を探すこと。
②“能の枠組み(序破急を5段に構成)“を作ること。
③詞章(言葉を選りすぐって、節付し、書く)こと。

①の主要な人物について
能は“舞と歌“を基本とする。主人公はこの“舞・歌“を演技する人物が主人公であるべき
例えば、天女や女神、在原業平(歌人)、光源氏、小野小町、祇王・祇女など。

②作とは、主人公を決めた時に、塾講して工夫した演技内容を決めること。
序破急は5段に分かれるとは、
序が1段(ワキが登場し、指声(叙景や述懐、情景や考えていることや回想などを言葉で表す、上音(高い音程から始まり、七五調の詞章が平ノリというリズムで謡う。)
破が3段(シテが登場、一セイ(シテの最初の謡)から上歌)
(その後、ワキと対応、終わりに合唱の謡)
(その後、曲舞や普通の謡)
急が1段(舞やモノマネ的なものがあり、中ノリ地(3種の中で最も活動的なリズム型)や大ノリ地(1拍1字を基本に大きく謡われるリズム)参考https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc9/kouzou/musical/utai03.html

これらの謡や作曲の変化を作る。

③書とは、能の冒頭の詞章を主人公の性格から工夫して考え書くこと。
祝言・幽玄・恋・述懐・芦屋などの主題に関連する詩歌の言葉。

面白みのある場所(名所や旧跡など)の場合は、盛り上がりのある山場に詩歌を盛り込むのも良い。

三体作書条々

老体の能姿の場合の例
祝言能は、
(序)ワキが登場し謡、
(破一)シテが登場して、老人夫婦、一セイの謡から下歌から上歌を10句。
(破二)ワキとシテの問答、上歌の全員合唱。
(破三)舞事(山場に持ってくる、作品によって位置は異なる)、クリ・サシ・クセ・ロンギなど謡や問答(https://db2.the-noh.com/jdic/2008/09/post_40.html
(急)後シテ(天女や男神など)高音域の謡や合唱などゆったりたっぷりと。その後急テンポの謡でたたみかける。また、大ノリ地の謡で締め括ることもある。

女体の能姿の場合の例
歌舞能が基本。貴人の女体能とは格調ある上品な姿服装で、美しく幽玄、謡には感動。
遊女の類の場合は、白拍子(遊女)の和歌を高く歌い、急調の足拍子を踏んで舞いつつ退場。大ノリにゆったりめ。
山姥の場合は、曲舞芸人なので、“破“を中心に曲舞を頂点にする。
女物狂の場合は、演技を工夫し、謡も演技に対応させる。

軍体の能の場合の例、例えば源平合戦
物語通りに書く必要がある。長大化することもあるので、前場を縮約する。

放下の場合、
橋掛かりで遠くを見渡すような姿が肝心で、謡の声の面白さと文句の面白さをきわ立たせながら登場する演技。

他にも、砕動風鬼(姿は鬼だが、心は人)、力動風鬼(姿も心も鬼である、強づよと勢いある姿。)がある。

開聞・開眼について
開聞は、意味的な面白さと音楽的な面白さの二つの聴覚的効果が一体となった感動場面。
開眼は、舞や演技の感動ポイント。